2018年02月05日
生きるチカラ
おはようございます!
先日、「ウエジョビ生の主張」に
出場する人を決めるクラス内予選を行いましたが、
どのスピーチもすばらしいものでした。
その中で、「友人の死」について話してくれた
方がいましたよね。とても心震える話でした。
ただ、あえて今回はクラス内だけにして
全校でのスピーチには選びませんでした。
と言うのも、「死」はとても
気をつけて取り扱わなければならないからです。
私たちは、
一人として「死」から逃れられません。
そして、「死」に直面したり、
受け止めなければならないとき、
それはとても大変なことなのです。
私自身、昨年、大変につらい「死」を
受け止めなければなりませんでした。
まだ、それを言葉にしたり、
みなさんに話す準備が出来ていません。
「死」は逃れられないからこそ、
私たちには「時」が必要です。
その「死」から
自らの「生」の意味を導くために。
何よりも大切なのは
私たちが「生きること」なのです。
でも、それを激しく揺さぶるほどに
「死」とは取り扱いが難しいものなのです。
すばらしいスピーチでしたが、
本人もみなさんに話せるか迷っていましたし、
「その友人に何もしてあげられなかった」と
後悔の念もあるとのことでした。
だとしたら、
まず「生きる」心を守りましょう。
私たちは言葉を発するとき、
まず自分自身が己の声を聞きます。
もし、「何もしてあげられなかった」と
発してしまえば、その「死」を受け止めるために
また、自分を責めてしまうことになります。
もうすこし時が必要なのです。
今、自分が笑顔で生きているのは
あの「死」を越えてきたからなのだ!と
大声で胸を張って言える時がきっとくるはずです。
それまで、もう少し待ちましょう。
きっと「生きるチカラ」は
悲しみを乗り越えてくれるはずですから。
その時が来れば、あのすばらしいスピーチは
より強くみなさんの人生を支える言葉となるはずです。
それでは、今日も笑顔で「生きて」行きましょう!
先日、「ウエジョビ生の主張」に
出場する人を決めるクラス内予選を行いましたが、
どのスピーチもすばらしいものでした。
その中で、「友人の死」について話してくれた
方がいましたよね。とても心震える話でした。
ただ、あえて今回はクラス内だけにして
全校でのスピーチには選びませんでした。
と言うのも、「死」はとても
気をつけて取り扱わなければならないからです。
私たちは、
一人として「死」から逃れられません。
そして、「死」に直面したり、
受け止めなければならないとき、
それはとても大変なことなのです。
私自身、昨年、大変につらい「死」を
受け止めなければなりませんでした。
まだ、それを言葉にしたり、
みなさんに話す準備が出来ていません。
「死」は逃れられないからこそ、
私たちには「時」が必要です。
その「死」から
自らの「生」の意味を導くために。
何よりも大切なのは
私たちが「生きること」なのです。
でも、それを激しく揺さぶるほどに
「死」とは取り扱いが難しいものなのです。
すばらしいスピーチでしたが、
本人もみなさんに話せるか迷っていましたし、
「その友人に何もしてあげられなかった」と
後悔の念もあるとのことでした。
だとしたら、
まず「生きる」心を守りましょう。
私たちは言葉を発するとき、
まず自分自身が己の声を聞きます。
もし、「何もしてあげられなかった」と
発してしまえば、その「死」を受け止めるために
また、自分を責めてしまうことになります。
もうすこし時が必要なのです。
今、自分が笑顔で生きているのは
あの「死」を越えてきたからなのだ!と
大声で胸を張って言える時がきっとくるはずです。
それまで、もう少し待ちましょう。
きっと「生きるチカラ」は
悲しみを乗り越えてくれるはずですから。
その時が来れば、あのすばらしいスピーチは
より強くみなさんの人生を支える言葉となるはずです。
それでは、今日も笑顔で「生きて」行きましょう!
Posted by てっしー先生 at 14:26│Comments(0)
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