2017年01月10日
南三陸町を訪ねて①
明けましておめでとうございます!
みなさんは成人式もあり、充実した年末年始でしたね!
さて!今年最初の話は先日行ってきた職員研修についてです。
2回に分けてお伝えしますね。
今回、研修で訪れたのは「南三陸町」。
そう、あの震災で大きな被害を受けた町です。
防災庁舎での勇気あるアナウンスでもご存知と思います。
お恥ずかしいことなのですが、
正直、私はこの職員研修に乗る気でないと言うか、
できれば行きたくないな……。と思っていました。
震災が起きてから、
被災地を訪ねたこともありませんでした。
訪ねることに不安というか
罪悪感があると言えばいいのでしょうか。
ですが……。結果から先に言いますと、
今回、参加させていただいて本当に良かったんです!
実際に見聞きし、空気に触れることで
色々と胸につかえていたものが取れました!
だからこそ、こうしてみなさんに、
南三陸町のお話をさせていただきます!
今、南三陸町はどうなっているかというと……。
こんな感じでした。
津波に強い町にするために、「かさ上げ」をしている最中です。
こうして、ピラミッドの様に積んで、
時間をかけて沈ませ、安定した地盤を築いてゆくのだそうです。
かさ上げの隙間には道があり、
最終的にはそこも「かさ上げ」するのだそうです。
数年前にこの地を訪ねたことのある事務の瀧澤先生が、
「もっと工事が進んでいると思った……。」と声を漏らしていました。
そうなんです。
まだ、南三陸町は「復興」ではなく「復旧」の途中なのです。
目を背けてはいけないと痛感しました。
現実がそこにありました。
研修では、校長先生のお知り合いの方に
特別な手配をいただき、
「高野会館」という震災遺構を
内部まで見学させていただきました。
語り部の方にお聞きすると
この建物では、当時、300名を超える高齢者の方が
集まりを開いていたそうです。
津波の知らせに、多くの人が玄関から
避難場所に向けて駆け出そうとしました。
すると、従業員の方が全力で制止し、
「間に合わない!この建物の屋上に逃げろ!」と
行動したのだそうです。
おかげで、この建物では全員が救助されました。
当時のままの建物はボロボロになっています。
ここで、みなさんに知っていてほしいことが一つあります。
南三陸のみなさんが声を揃えておっしゃていたことなのですが、
この町は決して、防災意識の低い地域では無かったのです!
歴史上、何度も押し寄せる津波に学び、防波堤を作り、訓練をし、
修正箇所があれば再訓練して減災に取り組んだ大変に意識の高い町です。
だからこそ、「高野会館」では全員救助が成し得たのでしょう。
屋上までご案内いただき、
「この先に避難所指定されてたマンションがありました」と
語り部の方に指差していただいたのです。
しかし、目の前には「かさ上げ」された場所があるばかりで
以前の町の形をうまく想像することができませんでした。
被災された方の気持ちに寄り添えない……。と本当に
心苦しく、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
でもね!南三陸のみなさんは笑顔で、
この地図を見せてくれるのです!
この町は、こんな姿になるんだ!って。
もちろん、区画整備などで全員が納得することは難しいそうです。
防波堤の有無も大いに議論されて、大変だったそうです。
それでも、今はこの「未来の地図」を頼りに
「復興」を目指すんだ!と力強くお話いただきました。
私も以前の町の姿を思い返すことはできなくても、
この「未来の地図」から共に思い描き、
あの防災庁舎の周りに
桜が咲くことを願うことはできます。
私の方が、南三陸町のみなさんに勇気をもらいました!
おっ、もう時間ですね!
明日は、さらに力づけてくれたお話を紹介します!
それでは、今日も張り切ってゆきましょう!
みなさんは成人式もあり、充実した年末年始でしたね!
さて!今年最初の話は先日行ってきた職員研修についてです。
2回に分けてお伝えしますね。
今回、研修で訪れたのは「南三陸町」。
そう、あの震災で大きな被害を受けた町です。
防災庁舎での勇気あるアナウンスでもご存知と思います。
お恥ずかしいことなのですが、
正直、私はこの職員研修に乗る気でないと言うか、
できれば行きたくないな……。と思っていました。
震災が起きてから、
被災地を訪ねたこともありませんでした。
訪ねることに不安というか
罪悪感があると言えばいいのでしょうか。
ですが……。結果から先に言いますと、
今回、参加させていただいて本当に良かったんです!
実際に見聞きし、空気に触れることで
色々と胸につかえていたものが取れました!
だからこそ、こうしてみなさんに、
南三陸町のお話をさせていただきます!
今、南三陸町はどうなっているかというと……。
こんな感じでした。
津波に強い町にするために、「かさ上げ」をしている最中です。
こうして、ピラミッドの様に積んで、
時間をかけて沈ませ、安定した地盤を築いてゆくのだそうです。
かさ上げの隙間には道があり、
最終的にはそこも「かさ上げ」するのだそうです。
数年前にこの地を訪ねたことのある事務の瀧澤先生が、
「もっと工事が進んでいると思った……。」と声を漏らしていました。
そうなんです。
まだ、南三陸町は「復興」ではなく「復旧」の途中なのです。
目を背けてはいけないと痛感しました。
現実がそこにありました。
研修では、校長先生のお知り合いの方に
特別な手配をいただき、
「高野会館」という震災遺構を
内部まで見学させていただきました。
語り部の方にお聞きすると
この建物では、当時、300名を超える高齢者の方が
集まりを開いていたそうです。
津波の知らせに、多くの人が玄関から
避難場所に向けて駆け出そうとしました。
すると、従業員の方が全力で制止し、
「間に合わない!この建物の屋上に逃げろ!」と
行動したのだそうです。
おかげで、この建物では全員が救助されました。
当時のままの建物はボロボロになっています。
ここで、みなさんに知っていてほしいことが一つあります。
南三陸のみなさんが声を揃えておっしゃていたことなのですが、
この町は決して、防災意識の低い地域では無かったのです!
歴史上、何度も押し寄せる津波に学び、防波堤を作り、訓練をし、
修正箇所があれば再訓練して減災に取り組んだ大変に意識の高い町です。
だからこそ、「高野会館」では全員救助が成し得たのでしょう。
屋上までご案内いただき、
「この先に避難所指定されてたマンションがありました」と
語り部の方に指差していただいたのです。
しかし、目の前には「かさ上げ」された場所があるばかりで
以前の町の形をうまく想像することができませんでした。
被災された方の気持ちに寄り添えない……。と本当に
心苦しく、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
でもね!南三陸のみなさんは笑顔で、
この地図を見せてくれるのです!
この町は、こんな姿になるんだ!って。
もちろん、区画整備などで全員が納得することは難しいそうです。
防波堤の有無も大いに議論されて、大変だったそうです。
それでも、今はこの「未来の地図」を頼りに
「復興」を目指すんだ!と力強くお話いただきました。
私も以前の町の姿を思い返すことはできなくても、
この「未来の地図」から共に思い描き、
あの防災庁舎の周りに
桜が咲くことを願うことはできます。
私の方が、南三陸町のみなさんに勇気をもらいました!
おっ、もう時間ですね!
明日は、さらに力づけてくれたお話を紹介します!
それでは、今日も張り切ってゆきましょう!
Posted by てっしー先生 at 13:23│Comments(0)
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